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【おすすめ書籍】安楽死について考えるための本

【おすすめ書籍】安楽死について考えるための本

 

安楽死を考えるうえで紹介したい本が2冊あります。

 

・安楽死を遂げるまで 宮下洋一著
・だから、もう眠らせてほしい 西智弘著

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昨年(2019年)話題となった宮下洋一著「安楽死を遂げるまで」を読んだときには衝撃を受けました。
これはスペイン在住の著者が、欧米日の安楽死の現状を取材した渾身のルポです。
「安楽死」というと賛成か反対かという議論になりがちですが、この本は世界各国の人たちが安楽死にどう向き合っているか取材しています。


安楽死についてどのように考えられているのか?
どのような手続きで行われるのか?
実際にどのような方法で行われるのか?
まさにその瞬間の現場に立ち会った取材記録です。

しかし、衝撃を受けたのですが読後に、今後の日本での制度をどう考えるのか?に必要なピースが欠けている気がしていました。

先月、たまたま本屋で手に取った本がその隙間を埋めてくれました。

 

 

西智弘著「だから、もう眠らせてほしい」

緩和ケア病棟に勤務する医師(著者)のもとに安楽死させてほしいという患者が来るところから物語は始まります。

医師と安楽死したいという患者が真正面から向き合った記録です。


日本の安楽死をめぐる現状と、
実際に余命の無い人が希望したらどうなるのか?
それに携わる医療関係者はどう考えているのか?
実際にどのような措置が取られるのか?
を知ることができます。

 

物語と書きましたが、あとがきのなかで「この本は事実をもとにフィクションを三〇パーセントくらい混ぜて再構成した物語だ」と書いてあります。
本の中で緩和ケア医である著者は「正直なところ安楽死制度はあってもよい」と述べています。
そして続けて「ただ、僕ら緩和ケアの医療者はその制度が育つことを上回る狂気で、「死にたくなくなる」手立てを育てていく。それが役割だと思う。」とも述べています。

この本は安楽死制度というものを日本に導入しようと思ったとき(導入する前も)にどのようなものが必要かということを示唆してくれます。

 


以下、二冊を読んで知ったこと、感じたこと、考えたことです。

 

・安楽死の最先進国はスイスではなくベルギー
 「安楽死」と聞いて思い浮かべる国はスイスという方が多いと思います。
私もそうでした。
しかし、現在最先端を行っているのはベルギーです。
スイスでは精神疾患での安楽死は認められません。
ベルギーでは精神疾患(うつ病、統合失調症ほか)、アルツハイマー病も適用されます。
また、年齢制限もありません。
外国人についても黙認状態が続いています。
今後、欧州では精神疾患を安楽死適用に含めるのかが大きな議論になりそうです。
(おそらく適用範囲は拡大していくでしょう)
ただスイスやベルギーの人が安楽死にみんな賛成かというと、もちろんそんなことはありません。
自分の死をコントロールする権利は多くの人に容認されていますが、制度に反対する人もいますし、信仰深い人は宗教的に自ら命を絶つことを受容することはできません。

自宅で安楽死されるのを嫌がる人も当然います。

 

・安楽死の分類

安楽死と言うと、医師が注射を打って絶命させるというイメージがあります。
これは過去に日本で起こった安楽死事件のイメージが定着しているからかもしれません。
東海大学附属病院(1991年)
国保京北病院(1996年)
川崎協同病院(1998年)
これらの当事者(医師)への取材が「安楽死を遂げるまで」に掲載されています。
実はこの事件から20年以上たった後日談が、この本の真骨頂だと思うのです。
苦しむ患者を前に家族から「楽にしてあげてください」と懇願されて安楽死させた医師たちが、たどった道がどのようなものだったのか。
医師だけが背負わされるあまりにも重い十字架。
日本での安楽死制度を考えるうえで、ココの部分だけでもこの本を読む価値があると思います。


1. 積極的安楽死
医師が薬物を投与し、患者を死に至らしめる行為

2. 自殺幇助
医師から与えられた致死薬で、患者自身が命を絶つ行為
(処方されたカプセルを自ら飲む、点滴を差してもらいコックを自分で開ける等)

3. 消極的安楽死
延命治療の手控え、または中止する行為(胃ろう、人工呼吸器など)

4. セデーション(終末期鎮静)
終末期の患者に投与した緩和ケア用の薬物が、結果的に生命を短縮する行為(間接的安楽死とも呼ばれる)
終末期の患者に薬を投与し、意識レベルを下げることで苦痛から解放し、水分・栄養の補給を行わずに、ゆるやかに死に向かわせる行為。
緩和ケアの一環として行なわれることがあるが、大半は安楽死とは結び付かない。

 

スイスやオランダなどのヨーロッパ圏では1.や2.が安楽死=尊厳ある死(Death with dignity)と考えられています。
アメリカでは積極的安楽死(Euthanasia)と自殺幇助(Assisted Suicide)は違法です。尊厳死(Death with dignity)と安楽死(自殺幇助を含む)を混同することを嫌い、明確に区別しています。
日本で尊厳死というと3.に近いです。


・日本に導入する場合を考える
 今後、日本でも制度導入の是非について議論になるでしょう。
(日本の現状は議論になる前の段階にもなってないように感じます)
ただ、1.積極的安楽死や2.自殺幇助が日本で受け入れられるかというと無理だと思います。


 これは受け入れられる方が進んでいるとかではなく、家族の在り方や、人権に対する考え方(自分の持っている権利をどう行使するか、他人の権利をどう尊重するか)が宗教・倫理観含めて他の国と違うからです。


 3.消極的安楽死と4.セデーション(終末期鎮静)のルール作り・制度確立が現実的でしょう。
現状ではどれだけ患者本人が希望しても罹る病院や医師によって受けられる治療・鎮静の方法に差があります。
患者が耐えられない痛みだと言っても、医師がまだ大丈夫だと判断すれば鎮静は行われません。
患者がどれだけ治療の中止を希望しても、医師が倫理的に治療の中止はできないとの信念があれば胃ろうや人工呼吸が死ぬまで続けられます。
自分の命の在り方を決めるのは「自分」なのか「医師」なのか、「家族」なのか、「法律」なのか。


 希望する人の意志をどこまで尊重するのかの線引きも必要です。
それを判断するのは医師だけでよいのか。
医師だけでは精神的にも手続き的にも負担が大きすぎるので、私は公証役場や弁護士などの法律家も制度の中に組み込んで関与すべきだと考えます。
もっと言えば警察まで関与したほうがよいと考えます。

患者の申し出を医師が申請し、警察が手続きに問題がないか確認して了承をする。

こうすれば医師は安心して薬を処方できるでしょう。(警察は絶対やらないでしょうが)

 

 安楽死するのは制度があるから、ではダメなはずです。
権利を行使したいからどのように制度を作るか。
そもそも「自分の死をコントロールする権利」を認めるのか?
認めるのであればどのように尊重するのか。
権利を行使するために必要な制度・法律を整える。
そして安楽死する権利(と言う人権)を家族はどう受け止めたらよいのか、宗教的にどう考えればよいか。
倫理的に正しいのか。
宗教家・思想家・哲学者も交えて意見交換・世論作りが必要です。

 


補助教材として井上雄彦著のリアル(1~14巻以下続刊)を上げます。

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事故や病気など様々な理由で車いすが必要となった人たちを描いた作品です。
主人公の友人でALSを患っているヤマという人物が出てきます。
明るく前向きなヤマに感化されて足を失ったことを受けいることができた主人公。
しかし、病気の進行がヤマを襲います。
ALSという病気がどんなものか、病気の進行とともに患者の心情がどう変化していくのかまでが描かれていて、ALS知るきっかけになりました。
14巻ではそのヤマに希望のある展開が待っています。
ALSの患者がすべてこうであるわけではないでしょう。
様々な人物がどん底に落とされながらも、そこから希望を見出して這い上がってくる物語です。

(13巻はまるまる一冊プロレスの話です。燃えます)
そしてリアルの最新刊14巻が刊行されたのは2014年です。
(2019年に連載再開されましたが3か月に1話のペースで掲載)
井上先生は執筆のペースを上げて我々に希望をください(=゚ω゚)ノ


安楽死を望む人が述べる意見で
「耐えられない苦痛が訪れたときに、希望すればいつでも安らかに死ねるという安心が生きる希望になる」
という逆説的なものがありました。
自分が健康であるうちには到底知ることのできない境地であると思います。

 

読書という代理体験を通してこれらのことに思いを馳せて、日本でのあり方について考える一助になればと思います。

 

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