まーむのあたまのなか

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「新郎会社上司」と言う肩書きではじめて結婚式に参列してきました。

「新郎会社上司」と言う肩書きではじめて結婚式に参列してきました。

 

新郎は7人兄妹(四男はケンシロウ、五男はダイゴロウ)だし、新婦はキレイだし、新婦父は長渕剛弾き語りで気持ち良く歌い倒しちゃうし楽しい結婚式でした。

 

結婚式の時に讃美歌の歌詞カードが配られましたが、コロナ対策のため、心の中で歌って下さいとのことでした。

外国人の牧師っぽい人が独特の日本語と英語で聖書の「コリント人への手紙13章」を読み上げます。

 

あれって、なんで唐突に英語で聖書読むんですかね?

 

ペテロが古代ギリシアの都市国家であるコリントの信徒へあてて手紙を書いたのであればギリシア語のはずです。読み上げるのであれば原典からという意味でギリシア語で、その翻訳と言う意味で日本語でと言うのが良いのではないかと常々思っていた事を数年ぶりに思い出しました。

コリントの信徒への手紙 第13章第4節

家に帰ってからその事を哲学科で教鞭を取る友人に聞いてみたら、当時のギリシア語と今のギリシア語がどう違うかとか、オスマントルコ帝国支配下のギリシアの話とか延々と40分も電話口で講義が続いたので、結婚式でそれっぽい牧師が英語と日本語で聖書読むのはなんとなくオシャレっぽい気がするからと言う事でOKって事にします。もう全然OKです。

 

深淵を覗く時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ('ω')ノ

 

シンザブロー末長くお幸せに。